2015年03月16日

肉を食べるということ

ある東北地方の小学校で、学校教育の一環として子牛の面倒を生徒たちがするという試みがあります。

子供たちは子牛をかわいがり、子牛も子供たちにとてもなついていました。

でも、その牛は食肉用にいずれ市場に出荷されていく運命なのです。

子供たちが牛をかわいがり、牛に信頼されて後の、ある種の裏切り行為と感じられるかも知れません。

子供たちは牛に抱きつき号泣していました。

それが教育の一環として正しいかどうかはわかりませんが、私たちが普段口にし、栄養になってくれている肉は、生きていたのだという認識があるのと無いのでは、雲泥の差があると思います。

命に対して無頓着であれば、犠牲に対して感謝する気持ちも沸かないでしょう。

それこそ、神をも畏れぬ傲慢です。

ただ、感謝の気持ちや命の尊さを感じる心は、愛情が無ければ生まれません。

矛盾するようですが、それが弱肉強食の地球上に住む生き物の宿命でもあります。

本当に動物が好きだったら畜産など出来ませんし、漁師にすらなれないわけですが、それは最もいやな仕事を他の人に押し付けているだけに過ぎないのです。

この話には一つ救いがありました。

それは、子牛の世話をしていた小学生が、猛勉強の後獣医になったことです。
posted by 環境大事 at 22:51| 日記